ACTION 04

プロダクトのルーツを大切に、新たな挑戦へ。プロジェクトを成功に導くJootoの想い

  • 原 悠介(株式会社PR TIMES Jooto事業本部 本部長)

DATA:2019.04.16

上場や合併、海外展開など、ビジネスにはその未来を分かついくつかの分岐点が存在する。自社のサービスやプロダクトを譲り渡す「事業譲渡」も、その一つだ。

2017年9月、シンガポール生まれのプロジェクト管理ツール「Jooto」を手がけるSkipforwardは、PR TIMESへ、そのサービスを事業譲渡する決断を下した。2名のスタッフは転籍し、「PR TIMESのJooto事業本部」という新たな住所で、再びスタートを切ることとなった。

今回登場する原 悠介(はら ゆうすけ)は、正にその一連の当事者である人物だ。SkipforwardからPR TIMESへとやってきた同氏は今、Jooto事業本部 本部長としてサービスの未来をどう描こうとしているのか。

原 悠介

原 悠介

株式会社PR TIMES Jooto事業本部 本部長

1984年東京生まれ。大学卒業後、2007年IT企業にSEとして入社。2011年シンガポールにて大手外資系ITネットワーク企業に入社。2012年シンガポールを拠点に設立されたスタートアップ企業を渡り、2015年SkipforwardへJooto技術責任者として参画し、2018年本部長に就任、現在に至る。

「イグジットはずっと考えていた」M&Aの道を選んだ原氏が持つものづくりの思考

原さんがPR TIMESにジョインして約1年半が経とうとしています。今回のインタビューは、まず当時を振り返ることから始めさせてください。2017年9月の事業譲渡時、率直にどのような思いを抱いていらっしゃいましたか?

原:Jootoをイグジットするというのは、サービスを開始した当初からずっと考えていたことでした。

Jootoは当時マーケティング担当の下田祐介(以下:下田)が2013年にシンガポールで始めたサービスで、後に私が開発担当として参画し、2014年に本格的にスタートしました。私も下田も「とにかく新しいものにチャレンジして、何かを作っていたい」という思考の人間で、バイアウトを考えていたのも、そうすることでまた新たなものづくりに携われるのではないかと思っていたからです。

そんな中、PR TIMESから声がかかり、事業譲渡が成立しました。

原 悠介(株式会社PR TIMES Jooto事業本部 本部長)

なるほど。そうした原さんが持つものづくりに対する思考のルーツはどこにあったのでしょうか。

原:学生時代は音楽が好きで、卒業後はスピーカーなどのハードウェアをつくっているような音響メーカーへの就職を希望していたのですが、就活がなかなか上手くいかなかったんです。そんな就活の最中、大学の授業で面白いと思ったC言語の存在を思い出し、知識はゼロでしたが、新卒で中堅のIT企業にSEとして入社しました。

ただ、どうしても「音楽で食べていきたい」という思いが諦めきれなかった。そこで、音楽のためにすべて投げ打って退社という道を選んだんです。

「音楽をやりたい」という気持ちが、ものづくりに対する最初のベースになっているんですね。

原:はい。ただ音楽ではなかなか食べられず、どうしようかと思っていた矢先、親の知人にシンガポール人がいて、英語を勉強しに来ないかと声をかけられました。

アイディアが煮詰まったら新しい風を入れる。深夜まで夢を語った日々がJootoのルーツに

そしてシンガポールへ発ったということですね。海外へ行くことに抵抗感はありませんでしたか?

原:特になかったですね。家族は皆英語が話せましたし、私一人が話せないことに劣等感もあったので、またとない機会と思って飛びつきました。1年の留学計画で、現地ではシンガポールの英語学校に通っていました。当時は円高で物価もそこまで高くはなく、貯金もして渡ったはずだったのですが……3カ月ほどで蓄えが尽きてしまいました。


とはいえ、周囲には「1年間留学に行ってくる」と宣言した手前、今さら日本に帰ることもできない。そこで現地で就職先を見つけることにしたんです。幸い、前職のSE時代の知識があったので、その技術力を買ってくれた外資系の通信会社に入ることができました。

現地での生活は苦労することもあったかと思います。スタートアップ「Skipforward」を立ち上げ、その後Jootoを共に運営した下田さんとは、どうやって出会ったのでしょうか。

原:日本人のコミュニティの存在は大きかったですね。バンド仲間のコミュニティに所属していたのですが、下田とはそこで出会いました。彼とは一緒に住んでもいたので、とにかく二人でいる時間が長く、深夜2、3時までいろいろなことを語り合いました。元々形だけはあったJootoを二人で本格的にスタートすることにしたのも、数々の会話の中でお互いに「何か新しいことをしたい」という思いが一致したからなんです。

バンドという趣味つながりの相手と事業を始めることにハードルは感じませんでしたか。

原:そこも当初かなり話し合いをして価値観のギャップを埋めていきました。話し込んでアイディアが煮詰まってしまったら、誰かを呼んで新しい風を入れて、また話す。その繰り返しです。

シンガポールの環境で「良かった」と思うのは、すぐに会いたい人と会える狭さでしょうか。コミュニティでつながれば情報も得やすいですし、意見交換もできる。現地には自分のアイディアを実現させている人もいれば、アイディアはあっても実現できていない人もいて「なぜそれが実現できていないのか?」「問題は何か?」といったことを、互いに遠慮なく話し合えたんです。

シンガポールの「カオス」な環境が、国境を超えるビジネスのハードルを下げた

現地でのJooto事業にまつわるエピソードについてもお聞かせください。

原:Jootoはシンガポール発のサービスですが、ターゲットとする市場は当初から日本のユーザーでした。それをマーケティングやマネジメントはシンガポールで、開発はオフショアでベトナムのハノイ、そしてオペレーションは石垣島と、各部門が国境をこえて動いていたんです。ウェブを介せば物理的距離はさほど業務に支障はなく、わずかな時差を気にしなければ問題ない程度でした。


ただでさえシンガポールは、全人口の半分が外国籍の人で構成されていますから、国そのものがごちゃごちゃとしているのがスタンダード。そうした背景もあり、自分たちの経営方針も難しいものではないと感じましたし、異なるカルチャーを持った人同士のコミュニケーションを支える意義も強く感じていました。

「新しいことに挑戦したい」という変わらぬ思いが冒頭の事業譲渡を後押ししたということですね。今は外苑前にあるPR TIMESのオフィスに出社していらっしゃいますが、働く環境という点では変化が大きかったのでは?

原:徐々に慣れてきましたが、私は元来出不精で、家で作業をしたいタイプの人間だったので、初めの頃は定時出社が辛かったですね(笑)。

環境の変化といえば、昨年下田が退職して私がメインでJootoを見ることになったのが一番のインパクトでした。今まで自分たちだけで回せていたので、「わざわざ人を雇う」という思考にすらならなかったのですが、いざこうなると人手不足は大きなリスクでした。事業を作る上で人を採用することの重要性に気づかされましたね。それまで開発周りを主に担当していたので、今はマーケティングなど日々勉強の連続です。

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とにかく行動して進む。世の中にあるプロジェクトを一つでも多く成功へ導くために

取材・文:田代くるみ@Qurumu 撮影:高木亜麗