CULTURE 76

「100年後も残るアワード」を目指して。ミッションを体現するPublic of the Year初年度の裏側

  • 高山 亮真(PR TIMES事業ユニット PRパートナーサービスBグループ 第四チームマネージャー)
  • 吉池 桃子(PR TIMES事業ユニット メディアリレーションズグループ)

DATA:2025.11.27

迷わず突き進んでいるように見える人ほど、周囲からは見えない葛藤と戦い、一歩一歩前進しています。『#PR TIMESなひとたち』は、「PR TIMESらしさってなんだろう?」について、社員の挑戦や努力の裏側、周囲からは見えづらい地道な一面に迫り、わたしたちの日常をお届けしていくコーナーです。

今回は「2024年度下期社員総会」で、社内外にPR TIMESの価値を高めブランド強化したチーム・プロジェクトを讃えるLead the Public/Social賞を受賞したPublic of the Yearプロジェクトメンバーの高山さん、吉池さんにインタビュー。

Public of the Yearは、社会を動かした方と、その行動を称えるPR TIMESが主催するアワードです。その記念すべき第1回を創り上げたおふたりに、プロジェクトの裏側やアワードへの想いについて聞きました。

高山 亮真

高山 亮真

PR TIMES事業ユニット PRパートナーサービスBグループ 第四チームマネージャー

1社目はIT企業にて、法人向けSaaS事業をAPI連携提案や大手メーカーの多拠点導入などを推進し事業の黒字化に貢献。
2022年7月にPR TIMESへ中途入社し、大手企業からスタートアップまで多様なクライアントへサービス利用のご提案や利活用の支援から
広報PR活動の価値を啓蒙する地元交流イベント「そこで、PRゼミ!」の立ち上げに参画し、責任者として企画実施などもおこなう。
2025年4月よりPRパートナーサービス部へ異動し、出版社、商業施設、食品メーカー、小売などのPRに伴走している。

吉池 桃子

吉池 桃子

PR TIMES事業ユニット メディアリレーションズグループ

新卒で求人広告の営業を経験後、第2新卒のタイミングでPR TIMESに入社。PRパートナーサービス部にて、コスメ、スキンケア、ボディケア、ヘアケアブランドや食品メーカー、ホテルなどのPRに伴走。2025年9月よりメディアリレーションズグループに異動し、メディア関係者との関係構築や情報提供を担当している。社内プロジェクトでは、「Public of The Year」の初年度の立ち上げや「株主優待制度を活用した顧客と株主がつながるプログラム 2025年版」を経験。

準備期間は2カ月間。「100年後も残るアワード」への前例のない挑戦

Lead the Public/Social賞の受賞おめでとうございます!まずは受賞されたときの率直な感想をお聞かせください。

高山:私はこれまでも、他の全社プロジェクトやイベント企画などをいくつか経験してきました。そのたびに今回は賞を取れるかなと思うものの、引っ掛かりもしないという期間が2年半ありました。今回Public of the Yearで受賞が決まったことを伝えられた瞬間、「ここまでやり切ったら賞につながるんだな」と腑に落ちたといいますか、すっきりした感覚になりましたね。これまでも自分自身のキャパシティや能力の限界には挑戦してきたつもりでしたが、目的に対して妥協せずやり切れたときに評価が伴うんだなと思いました。吉池さんはどうですか?

吉池:私は本当に必死になってプロジェクトに取り組んだ結果、賞がついてきたという感じでした。昨年末に行われたPublic of the Yearの授賞式当日、受賞者のスピーチを聞きながら、「なんて素敵なんだろう」と心を震わせていたんです。今後、長く続けていくべきアワードだと私自身も実感していたのですが、実際にこのような表彰に繋がったことで、100年残るアワードの1年目を実現できたのかなとあらためて感じられてうれしかったです。

第1回目のPublic of the Yearでは、9名の方々に審査員を務めていただきました。準備期間が2カ月という非常にタイトななか、どのようにしてご協力いただけたのでしょうか。依頼する際に意識されていたことをお聞かせください。

高山:当初はどういう方にお願いするのがいいのか誰も想像できていなかったため、具体的な人名を上げながら、どういう方にお願いできれば権威あるアワードにしていくのにふさわしいのかを考えました。2カ月しか猶予がない場合、快諾していただけそうな方に頼みたいと考えるケースが多いと思うのですが、リストアップの時点ではそうしたことは一切考えず、アワードを成功させるには誰に依頼すべきかという視点で進めていきました。

内閣総理大臣や経団連の会長、東京芸大の学長など、1年以上前にご連絡をしたとしてもお受けいただけないだろう人の名前も挙がっていました。本当にフラットにリストアップしていて、なかには実際に連絡を試みた方もいます。妥協することなく、諦めずに行動に移すということが限られた時間の中でできたのかなと思いますね。

依頼をする際は、事務的な文面ではなく、「どういうアワードにしたいのか」「なぜ私たちがこれをやるのか」を熱量を持ってお伝えし、本気で100年後にも残るアワードにしたいという想いを届けられるように意識しました。一流の方は、こういった依頼や提案を日常的に受け取っているはずだからです。
1年目だからこそ、「こういうアワードです」と事前の説明が難しい点もありましたが、審査員の方々も一緒に初年度のPublic of the Yearをつくりあげる仲間のような感覚も強かったです。いつか振り返ったとき、「1回目の審査員を務めて良かった」と思っていただけるアワードにしていきたいと思いながら、そんな感情が伝わる文面を作成し、3回ほど代表からのフィードバックを受けて校正。そのうえで、個々の経歴や仕事内容を調べ、「なぜあなたに依頼するのか」という文面を一人ひとり加えていきました。

アプローチに関しては、ひとりでは限界があったため、社内に協力者も募りました。たとえば、過去にPR TIMESカレッジを何度かやられている丸花さんは、一流の方を登壇者に迎える経験が豊富なので、過去の登壇者に依頼するときに力を借りましたね。

スムーズにご快諾いただけたのでしょうか。

高山:時期が迫る中でのご依頼だったこともあり、残念ながらお断りとなった方もいます。ただ、ご快諾こそいただけなかったものの、取り組みの主旨に賛同してくださった方もいました。とある有名テレビ番組のプロデューサーの方は、会社のルールに立ち向かってまで検討したくださいました。残念ながら実現には至らなかったのですが、そこまで動いてくださった方がいたこと自体が本当にうれしかったですね。また、真っ先にご快諾いただいた審査員の方からは、「審査の視点に共鳴したので、ぜひ微力ながら尽くしたい」とありがたいお言葉もいただきました。

吉池:日が迫る中での依頼であるうえ、実績のないアワードであり、引き受けるハードルが高かったにも関わらず、錚々たる方々に引き受けていただきました。本当にありがたかったですよね。ただ、なかなか決まらなかった時期は、ずっとひやひやしながら進めていました。

高山:1カ月前となり、徐々に物事が決まっていくなかで、ようやく「いけるかもしれない」という手応えを感じられるようになってきました。ちゃんと「共感していただける方がいるんだな」と思えたといいますか。今回は「興味があるかも」とおっしゃってくださった方それぞれに個別のミーティングを設け、事前オリエンとして直接私たちの想いをお伝えしました。

吉池さんが主に担われたのは、表彰される側の方たちのリストアップですね。「まだメディアに出ていない行動者にも光を当てる」ことにこだわられたそうですが、同じく意識されていたことについて伺いたいです。

吉池:前例がない取り組みだったため、リストアップの知見もなく、どこから進めるのがいいのかわからないなかでのスタートでした。最初は他のアワードの受賞者を参照することも考えていたんですが、受賞歴がある方は、すでにメディアでも取り上げられ、脚光を浴びている方々なんですよね。そうした方々は当然素晴らしい行動をしていらっしゃるんですが、あえて私たちがPublic of the Yearで表彰する意味はあるだろうかと思ったんです。

なぜ、私たちはPublic of the Yearをやるのか。Public of the Yearではどういう方を称えるべきなのか。そう考えると、すでに光が当たっている人も含まれはするものの、まだ知られていないなかでも、ご自身の人生の使命を見出してまっとうされている方、誰かのために行動し続けている方など、光がまだ当たっていない方を見出すことが私たちの役割なのではないかと思いました。受賞者の行動に励まされた方が、また次の行動者として立ち上がってくる。そんなポジティブなエネルギーの循環づくりを目指せるのが、Public of the Yearじゃないかなと。そこから、行動や出来事にフォーカスし、リストアップしていく方向性に変更しました。

時事通信、新聞、ニュースサイトなどにある「今年の出来事まとめ」から年間の出来事を洗い出し、その出来事を牽引した人について、その方のこれまでの経歴も含めて調べました。また、それでは網羅性が足りないため、社内にも協力を要請しました。かなり積極的に協力してくれて、60件ほど返信をもらえました。そのおかげで、多くの行動者から候補者を選べたんです。

候補者リストは100件ほど。ほぼ寝ないでやっていたかもしれません(笑)。「ここで妥協してしまうと、世の中に対して意義のあることをしている方を見落としてしまう」と思いながら進めました。「調べ切ってリストを作り上げなきゃ」という使命感に突き動かされていたと思います。

高山:あのときの吉池さんは本当にすごかったです。

吉池:みんなそれぞれの持ち場で限界を超えてやり切っているのが見えていたので、私も自分の持ち場は自分で何とかしなければと思っていました。がんばっている姿に励まされていましたね。「しんどい」とか言っている場合じゃなかったですし(笑)。

高山:私も吉池さんたちの姿に励まされていました。お互い様だったんですね。

Public of the Yearに限らず、PR TIMESのプロジェクトメンバーは、それぞれの通常業務に加えてプロジェクトに関わることになります。今回はタイトだったこともあり、本当に大変だったかと思いますが、最後までやり切れた理由、原動力は何だったのでしょうか。

吉池:私は、自分に託してくれた方の想いに応えたいという気持ちが強かったですね。はじめは「なぜ私がアサインされたんだろう」と思っていたんですよ。でも、何かしらの期待を寄せてくださっている方がいたからだと思うので、その想いに応えたかったんです。

もうひとつは、Public of the Yearプロジェクトへの共感です。私は前職で求人広告の営業や執筆をしていて、いろいろな会社で働いている人から仕事に臨んでいる想いを聞く経験をしてきたんですね。そのなかで、働く人が自分の仕事の価値を感じられたり、自信を持てたりし、エンパワメントすることができたらと思ってPR TIMESに入社したんです。「行動者発の情報が、人の心を揺さぶる時代へ」というミッションにも、自分のやりたいこととの重なりを感じました。Public of the Yearは、そんな私の初心と共通するプロジェクトだと思ったので、話が出てきたときから「これはやったほうがいいアワードだ」「働く人たちをはげませるものになるはず」と感じていました。

高山:隣でめちゃくちゃ感動しています。吉池さんのような人と一緒に働けて幸せです。私の場合は、Public of the Yearプロジェクトの前に、一度アワードを立ち上げようとして挫折したという経験があり、それが前提にありました。

私自身はプレスリリース配信サービスをご利用いただくお客様との会話や、それをプレスリリースを通じて社会に発信していくお手伝いをする中で、「ひとりの行動が社会を動かしているという感覚」に手触り感を持っています。ですが、まだまだ社会ごと化していないと感じる場面も多く、もっと業界外の方にも届いて一般化したらいいのになという想いがあり、立ち上げに挑戦したんですね。でも、そのときは上手くいかなかった。当時は私が責任者だったので、私の能力の低さのせいで、称えられるべき人が称えられなくなってしまったんじゃないかと思っていたんです。

挫折当時、代表の山口さんから言われたのは「全然パブリックじゃないよね」です。何とかして形にしようとしていたんですが、一個人のエゴだけでは、価値のあるものとして残らないと。その言葉を受け、その視座で仕事をしたことがなかったと突きつけられた気がしたんですよね。「僕、全然パブリックじゃないな」と思って、私がやらないほうがいいとシンプルに感じました。

そんなとき、山口さんから「このままだと高山さんにとっていい経験にならないから」とPublic of the Yearプロジェクトにアサインしていただきました。ありがたかったですね。そのため、関われること自体がやりがいのひとつで、全身全霊をかけて成功させるんだという強い想いがありました。

時間がないなかで、丁寧に「何のためにするんだっけ」という議論を重ね、どういう人がアワードにふさわしいのか、対話を元につくっていったのですが、このプロセスをメンバーのひとりとして一緒に歩めたのは、すごく贅沢だったなと思います。ひとりの行動が組織や企業、地域、社会を動かしているとか、社会をつなげていくとか、あまりしてこなかった言語化ですが、本当にその通りだなと。アワードの存在意義が自然と染み込んできました。皆さんのアプローチを見ていて、「このぐらい上段から議論しないといけなかったんだな」と再度気付けた感じでしたね。

「パブリックとは」「行動するとは」――議論を重ね、辿り着いた景色

高山さんの受賞スピーチでは、「パブリックとは何か」「行動するとは何か」といった抽象度の高い議論をされていたとのことでしたが、当時のことで印象に残っているエピソードはありますか?

吉池:とにかくずっと概念的な話をしていた感じですよね。

高山:山口さんが「行動と努力は違う」と言っていたのを覚えています。「行動は誰にでもできる」と。対して、努力は相対的なものであり、「誰かが自分以上に努力しているのを見たら、自分の努力を努力と言えなくなる」とおっしゃられていましたよね。そして「それは、PR TIMESの言うパブリックや行動とは違うものだ」と。

吉池:ありましたね、「行動は事実」。何をしたかの事実が行動であり、その積み重ねに価値がある、みたいな話。

高山:自分の興味関心を貫き通し、行動を突き詰めた結果、個人の域を飛び越えて社会に影響を与えるほどになったパターンと、自分の興味関心というよりも、行動の源泉が純粋に社会を向いているパターンとがあるという話もしました。前者の例として挙げられるのは大谷翔平選手などですね。野球選手でありながら野球に留まらず社会に良い影響を与えている人。今回の受賞者では、Creepy Nutsさんもこちらのタイプです。ラップに留まらない影響力がある。

吉池:後者は、のと鉄道の社長さんがわかりやすい例ですね。震災時、始業式に間に合うよう電車の復旧をされた方です。その方の役割は会社が上手くいくよう指揮を取ることなのですが、それだけではなく、自分たちのサービスを使っている方たちへの影響まで考え、どうしたら役に立てるのか、視野を広く持って役割を決めつけずに動かれていました。パブリックのわかりやすい例だと思います。

ただ、あらためて言語化するのはやっぱり難しいですね。話していた当時も、上流の話すぎて「どういうことなんだ」と戸惑うことがあったのを思い出しました。話しながら少しずつ理解を深めていった感じだったなと。

Public of the Yearの運営経験を通じて、おふたりは何のために仕事をしていると感じましたか?

吉池:「何のために」の答えは、会社のミッションである「行動者発の情報が、人の心を揺さぶる時代へ」そのままですね。今回の経験を通して、会社のミッションを実現するためにここにいるんだとあらためて感じ、ミッションに原点回帰できたなと思います。ミッションを目指す意味、価値を感じ、実現させたいと気持ちを新たにしました。

高山:Public of the Year当日、「こんな景色が存在するんだ」と驚きながら、登壇される受賞者の方を見届けました。皆さんのスピーチを聞いて本気で取り組んだ方の声や姿勢に、こんなにも心を動かされるものなんだと思いめちゃくちゃ泣いてしまいましたし、あらためてミッションのすごさも感じました。これまでも本気でやるべき仕事だということに疑いはなかったですが、価値ある仕事であるという確信に変わった経験ができたと思っています。

ミッション実現を目指す価値を信じて。まだ見ぬ魅力を輝かせられる仕事を

前例のないプロジェクトをやり遂げたことで成長できたと感じられるのはどんなところですか?

吉池:ミッション実現に向けて行動していく意味、価値にあらためて気づけたこと自体が大きな経験になりました。当時はもうひとつ別のプロジェクトにも関わっていたので、本当にハードだったのですが、何かひとつに必死に向き合っていると、「もっとできる」と自分のフレームを越えられるようになると知りましたね。その経験が大きかったなと思います。

高山:頑張るのは得意なタイプで、限界まで頑張るのはいつでもできると自負しているんですが、その頑張りが社会やステークホルダーにとってどういう価値があるのかという部分が学びになったかなと思っています。あとは、自分のなかにやる意義がきちんとあれば、まだ全体像が見えていないなかでも、人って仲間になってくれるんだなという気付きですね。成功例や実績のないものであっても、一流の方たちは理解を示してくださるんだなと。

今回の経験も踏まえ、今後のそれぞれの展望についてお聞かせください。

吉池:私は今、メディアリレーションズグループでメディアの伴走をしています。これからも頑張っている人の情報にスポットライトを当て、より自分の仕事に誇りを持てたり自信を持てたりするような情報の広がりをつくっていきたいです。そのためにも情報を発信するメディアに向き合い、まだ知られていない情報の魅力を届け、より輝かせる提案ができる人間になりたいと思っています。

高山:私は営業からPRパートナーサービス事業のほうに異動し、1社に対して深く入り込んだり、長いプロジェクトに携わったりしています。そのなかで、「何でこれをやるんだっけ」という疑問が無限に出てくるんですよね。そこで一歩立ち止まり、互いに理由や目的を言語化することが、いい仕事につながるんだろうなと思っています。

やりたい理由をお聞きし、先方の懐に踏み込めるようになってきたのではと、最近になって感じられるようになりました。本当の意味でパートナー、仲間になれる自分でありたいですね。Public of the Yearプロジェクトは、弊社だけではなく、3社ほどのパートナー企業さまと共に取り組んだのですが、いい仕事の仕方を学べたことは、私にとっての財産です。

執筆=卯岡若菜、構成=今本康太、編集=名越里美、撮影=高橋覚