PR TIMESのカルチャー
CULTURE 59
DATA:2025.05.14
こんにちは!柏木です。
「だれブロ」の初回投稿がすごく楽しみでしたが、いまPR TIMESで働く自分の現在地を振り返り、何かに挑戦して上手く行かなくても、まだ自分の可能性を捨てきれない「だれか」に、もう少し踏んばるきっかけになればと思っています。
簡単に自己紹介をすると、私は現在PR TIMESで関西支社を立ち上げ、関西でのご利用企業の拡大に取り組んでいます。
2020年に新卒でPR TIMESに入社し、4月から6年目。この5年、苦悩がありながらも、お客様のため、PR TIMESのため、そして社会のために、できることに取り組んでいます。今回は上手くいかなかった経験と、それでも何が原動力で踏んばっているのか振り返ります。
柏木 択斗
PR TIMES事業ユニット 第二営業部 兼 関西支社長
2020年に新卒でPR TIMESに入社。
プレスリリース配信プラットフォーム「PR TIMES」の営業を行い、スタートアップから大企業までのPR支援を実施。その後、タスク管理ツールを運営するJooto事業部に異動し、営業・カスタマーサクセス業務に従事。PR TIMESのカスタマーサクセスチームのマネージャー代行として異動。2024年10月より関西支社を立ち上げ、現在は支社長として関西のお客様を中心に、1社ずつ営業からイベント企画・運営を行う。
2023年5月、入社4年目にPR TIMES営業本部のカスタマーサクセス(CS)チームでマネージャー代行に就任しました。Jooto(タスク管理ツール)で様々な管理職の方と向き合い、自らもマネジメントに挑戦し、成果を上げたいと手を挙げました。
それまでは、Jooto事業部でアカウント数が最も多いお客様を担当したり、セミナーを企画したりと、社員総会では個人賞を受賞。マネジメントにおけるタスク管理を提案する中で、「自分にもマネージャーが務まる」と思っていましたが、実際は甘くありませんでした。
プレスリリースを利用した広報PR活動は、1回行っただけでは目的の達成は難しく、継続的な取り組みが重要になります。PR TIMESとしては、継続的にプレスリリースを通した広報PR活動を支援するべく、CSチームのマネージャーポジションとして7人のチームメンバーと業務を進め、上長である代表の山口さんと週に2回ミーティングを行っていました。
自分の成果と同時にチームとしての目標を設定し、メンバーの目標達成にも向き合わないといけないことは、想像以上の業務量と内容になり、早速パンクをし始めました。
「柏木さんはそういう業務の進め方をしてきたんですね」
山口さんとのミーティングをした際に言われたセリフで、上手くいっていないことに目を背け、上手くいっていないことの相談ができない、自分のこれまでの仕事の仕方が全く良くなかったことを実感した瞬間でした。
業務に追われ、チームとしての戦略に時間を使うことができず、メンバーに対するコミットメントも中途半端な状況でした。特にチームのメンバーに対して、当社に入社してきたのに、自分が上長で、本気でその人のためを思い、マネジメントができていない点が一番つらく、それでも自分のことで手一杯になり、負のスパイラルに陥り、マネージャーポジションからメンバーに戻ることになりました。
褒めてもらえることは自分自身がギブアップをせず、弱音を吐かずに取り組み続けたことくらいで、最後まで厳しい言葉をもらい続けました。文面で書くとつらいだけの日々が続いていたように見えますが、今の自分からすると厳しい言葉をかけ続けることも心労を伴うもので、愛がないとできない行為でもあり、いまでも糧となり、前に進み続けることができている糧になっています。
改めて振り返ると、結果を出せなかった要因は下記2点になります。
1点目のプライドについてですが、異動当初、「自分ならできる」という高い期待を自分に抱いていました。しかし、実際にはその期待に達していないと気づきながらも、他者に助けを求めたり、学びを得たりすることができませんでした。その原因は、自分でも気づいていなかったプライドの高さにあったのだと思います。結果として、自分のやり方に固執し、失敗を繰り返し、そのたびにやるべきことが増えていく悪循環に陥っていました。
さらに、成果ではなくかけた時間に意識が向いていたことです。「こんなに頑張っているのだから評価されるはず」と考え、実際の成果を追求できていませんでした。忙しく働くことで少なくとも周りからは「柏木さん、頑張っているね」と思われることに満足し、本当に必要な成果を上げるための行動への意識が欠けていました。その結果、成果が伴わず、どこかで自分を甘やかしていた部分があったのだと思います。
2点目として、よく「柏木さんはやり方を知ろうとしている」と代表の山口さんから言われていました。いまでもこの部分は日々意識しながらも、同じようなことを行っていることが多々あります。楽な仕事、これをやったら簡単に成果が出るという方法を見つけようとしてしまいます。楽観的に計画をして、楽観的に実行しようとすることです。
でも成果は、憂鬱に思うような困難な仕事から生まれるもので、自分はまあまあのレベルの水準で業務を行っていました。チームを率いるリーダーがそのような姿勢では、他のメンバーにも同様の影響が出て、チームは壊れてしまいます。
8か月間務めたマネージャー代行を降りた時、正直解放されたような思いがありました。
同時にこの会社に居続けることが、会社にとって、自分自身にとって良いことなのかがわからなく、悩む時期でした。
いちメンバーとして業務を行いながらも、ずっと自分自身の中ではモヤモヤした思いを抱え続けていました。5年目になると社歴としては長くなり、他のメンバーもどんどん活躍をし始めて焦る思いと、それでも自分が以前と同じように責任ある立場を任せてもらったときには、同じような状況を招いてしまうのではないかという不安が入り混じっていました。
内定式で新入社員がそれぞれスピーチをしていて、ふと自分がなぜこの会社に入社したのかを考え直す機会がありました。最近の自分は他の人と比べてどうなのか、同期に負けないように、新しいメンバーの手本にならないと、マネージャーだから他の人よりも優秀でいないと、と比較対象に目が向いていることに気づきました。
自分がこの会社に入社したのは、自分自身ができることを増やし、早く成長し、影響を与えられる範囲を増やし、そして行動をしている人にスポットライトを当てられるようになりたい、その思いでした。良い意味で自分にベクトルが向き直りました。
またメンバーとして活動する中で、マネジメント層の取り組みをメンバー視点から学ぶことができました。特に以下の点が印象的でした。
マネジメント側を経験したからこそ、メンバーとして見える範囲が拡がり、今まで自分が通ってきたプロセスを肯定でき、さらに前に進もうと思えるきっかけがいくつもありました。
特に3点目にあげた「リーダーはポジティブに働いている」という点は自分にとって、凄く足りていない点でした。業務が大変だなと思うと、苦労の方に意識がいき、表情や声からも元気がなくなります。それが周りにも伝播していきます。
実はこの点も何度も指摘を受けていた点でありながらも、どうにも改善ができていない部分でもありました。自分がついていきたいと思うようなリーダーは、常にどうしたらお客様やプロジェクトが良くなるかをポジティブに考え、そのためにできることを尽くします。
できるかどうかではなく、自分もこういうリーダーになりたいと思えるような時期を過ごし、
そのような中で、関西支社立ち上げという新たなポジションができました。「事業自体を成長させたい」という想いが強い一方で、「誰かに任せるのではなく、自分自身が率先して事業を牽引したい」と、自分のなりたい姿に素直に従い立候補をしました。
関西に行くまでは不安な思いは多くありましたが、誰かに言われたからではなく、自分で決断をしてここに来ているという責任感と、関西を中心とした利用企業の拡大という大きな目標があり、そのために新たなことに取り組む日々です。
関西で採用したメンバー、インターンのメンバーもチームに迎え入れ、支社としての基盤を築き、責任者としての役割を全力で果たしています。
関西支社での奮闘記は改めて、別の「だれブロ」で紹介して、また「だれか」に届くようにまずは行動を積み重ねていきます。