ビジネスパーソンに聞く仕事術
OUR WORKS 96PR TIMES
DATA:2019.03.06
今でも不思議に思うくらい、サッカーにかかわる仕事をしたかった――。
高校サッカー部でマネージャーを経験したことから、黎明期だったJリーグのクラブで働きたいと思うようになった遠藤さちえさん。短大に入学するとすぐに、複数のクラブへ「働きたい」とアプローチしたそうです。クラブ関係者へ手紙を送ったり、電話を掛けたり、面会してもらったり。Jリーグクラブへ体当たりで“就職活動”する日々を1年半以上も続けたある日、あるクラブの関係者から「ポルトガル語は話せますか?」と電話がありました。
「話せません」と答えたら何かが終わる。けれどウソはつきたくない――。そう感じた遠藤さんから咄嗟に出てきた言葉は、「絶対、話せるようになります」。ただただ熱意で押し切り、短大卒業前からそのクラブ、湘南ベルマーレ(当時はベルマーレ平塚)で働くことになりました。
こうして“押し掛け入社”が決まり、外国人の監督や選手、その家族の通訳や生活のサポートをすることに。ポルトガル語はもちろん、英語もまったく話せない状況で迎えた初仕事の日、遠藤さんは外国人監督・選手の家族へのあいさつ回りを命じられました。その日のうちに1人で監督・選手宅7軒ほどを訪問しなくてはならないのに、運転免許を取ったばかり。自動車の運転に不安しかなく、土地勘もありません。地図を頼りに訪問先1軒1軒へ何とかたどり着き、辞書を片手に「ベルマーレで働くことになりました」と必死に伝えていきました。
ようやくあいさつ回りがすべて終わり、くたくたになって夜遅くにクラブのオフィスへ戻った遠藤さん。出発前に「生半可な気持ちでできる仕事ではない」と発破を掛けられた上司に迎えられ、「できたじゃん」と褒められたことがすごく嬉しかったそうです。自分には何もなかったけれど、行動することで道が拓けた――。こうした経験がその後、20年以上も続く遠藤さんのベルマーレでの仕事に大きく影響することに。今では湘南ベルマーレの広報担当者として知る人ぞ知る存在になった遠藤さんは、湘南ベルマーレでどんな足跡を残してきたのでしょうか。詳しくお話を伺ってきました。
外国人選手の通訳・マネージャーとして何年か働き、その仕事ぶりが認められ、広報業務を任されるようになったそうですね。
広報の仕事をやってみないかと打診されたとき、「広報はクラブの生命線だと思っている。重要な仕事だが、できるか?」と言われました。重い言葉でしたが「だからこそやりたい」と思い、引き受けました。はじめは広報の詳しい業務内容がよく分かっていませんでしたが、年々、その時の言葉の重みをより強く実感するようになっています。
広報の仕事を始めてからは、選手が発する言葉、そこに込められた覚悟や想いに、大げさではなく毎日のように感動しています。サッカーのようなチームスポーツの選手は、「自分が活躍して結果を出す」ことと、「ライバルでもある仲間と協力してチームを強くしていく」ことの両方が求められます。常に監督やコーチから評価され、ファンの皆さんからも評価される中、選手は仲間と競いつつ、同時に助け合うというとても濃密な時間を生きているわけです。
非常に難しい状況の中でも、それでも懸命に明るく生きている選手たちの姿、選手たちからつむぎ出される言葉は“究極”のものだと思います。私は選手たちからたくさんの勇気をもらってきました。広報の仕事を担当することになって、そんな選手たちの姿、選手たちの言葉を世の中に伝えたいと思いました。
そして実際に広報として活動するようになり、選手たちの考えや想いについてメディアを介して知ってもらうことで、ファンの皆さんが「この選手を応援したい」「自分も頑張ろう」と思ってくださった。そうした経験を通じて、広報の仕事とは、監督や選手を含むチーム、メディア、そして世の中の皆さんの間に立ち、その関係をより良いものにすることだと考えるようになりました。広報は確かに重要な仕事でとても難しい仕事でもありますが、面白い仕事だなと心底思います。
広報担当者になってから、どのような取り組みをしてきましたか?
最初のころは、「プレスリリースを作成・配信する」「メディアから取材の依頼が入ったときに対応する」といった基本的な仕事が中心でした。
それから次第に、自分たちで情報発信することにも力を入れるようになりました。私が広報担当になってから十数年経ちましたが、その間に、公式サイトでブログ「馬入日記」を始め、フィーチャーフォン向けに有料のモバイルサイトを立ち上げ、ワンセグで放送する番組を制作し、LINE/Twitter/Instagram/Facebook等のSNSを運用するなど、さまざまな取り組みを試みてきました。
ただ、私が広報の仕事を始めてからの十数年間で、情報発信のやり方は大きく変わってきました。成功した取り組みもあれば、失敗した取り組みもあります。それでも湘南ベルマーレは、失敗しても原因を分析して糧にし、また新しいことにチャレンジできるクラブです。「やってみよう」というマインドが強く、「こんな取り組みをやりたい」と提案して「ダメ」と言われたことはこれまでに1回もありません。
これからもクラブが発信する情報をより広く届けられる新しい手段が見つかるかもしれないなら、事前によく考えて協議する必要はありますが、失敗を恐れず挑戦していきたいと思っています。
PR TIMESは2018年8月20日に、スポーツチーム・団体が自ら情報を発信することを支援するプロジェクト「SPORTS TIMES(スポーツタイムズ)」を発足しました。このプロジェクトにも、湘南ベルマーレは真っ先に参加を表明いただきました。
SPORTS TIMESのお話を伺って、検討するまでもなく、すぐに「やろう」と決めました。
もともと、広報担当者のつながりから「PR TIMESのプレスリリース配信サービスはとてもいい」という評判を聞いていました。「1度、使ってみたいな」と考えていたタイミングでSPORTS TIMESの構想を伺ったんです。無償でプレスリリース配信サービスを利用できるようになり、大変ありがたいです。
既存のファンなら、湘南ベルマーレの公式サイトやSNSを見にきてくれます。地元メディアとは密接なつながりを築いていますので、何かあるときに地元で告知することもできます。それらはもちろん良いことですが、湘南ベルマーレのファン以外の層、湘南エリアから離れたところに住む層に向けて情報を届けるには、今までにお付き合いのなかったメディアにアプローチする必要がありました。
PR TIMESを使えば、そうした接点がなかったメディアにも情報を届けられるチャンスが増えます。これまで自分たちだけでは届けられなかった層にも情報を伝えられるようになり、とても魅力的なサービスだと感じました。
確かにSPORTS TIMESを活用して配信したプレスリリースを見ると、「eスポーツ参入」や「ビールヨガ開催」など、これまで縁が薄かったメディア向けの情報が多いように感じます。
試合結果や選手の移籍といった情報はスポーツメディアが取り上げてくれますが、サッカークラブの活動はそれだけではありません。
例えば、SPORTS TIMESを使って「イーブイ&ピカチュウ来場・始球式実施!」というプレスリリースを配信したことがありますが、想像以上に多くのメディアで取り上げられました。子どもたちが湘南ベルマーレに興味を持ってくれるいいきっかけになったと思います。
1年365日あっても、Jリーグの公式戦は40試合ほどしかありません。自分たちのスタジアムで試合を開くホームゲームに限ると、その半分です。試合のない日が1年に300日以上あるわけですから、湘南ベルマーレは試合のないときも、世の中の人に何らかの楽しみを提供していきたいと考えています。
普段から湘南ベルマーレの記事を読んでいて、とても好意的に書かれている記事が多いように感じていました。遠藤様が広報としてメディアと良好な関係を築いてきたからこそだと思うのですが、普段からどのような心構えでメディアと接していますか?
何よりも気持ちよく取材をしてもらい、「また取材に来よう」と思ってもらえる雰囲気をつくることを大切にしています。選手たちが取材に対して邪険に対応することは絶対にあってはいけません。取材をしてもらえること自体をありがたいと思い、喜んで取材を受けてほしいです。
そのように取材対応への姿勢を選手に教育するのも広報の仕事だと思います。今では取材対応に協力的な選手ばかりですが、以前は試合の結果などによって「取材を受けたくない」と言う選手もいて、取っ組み合いのケンカをしたこともありました(笑)。
試合結果には、「勝ち」「負け」「引き分け」しかありません。当然いいときもあれば悪いときもあります。悪いことが続くときに、批判的な切り口で記事を書かれたり報道されたりするのは当然のことです。受け入れなければなりません。
広報としては、いいときも悪いときも扉を閉めることなく、オープンにしていること。「調子が悪いからコメントを断られた」などと思われないように、どんなときも湘南ベルマーレらしく、オープンマインドでいるように心掛けています。
そういった心構えで広報の仕事を続けてきたことが「報われた」と感じた瞬間はありましたか?
1999年に、親会社が撤退せざるを得ない状況になり、クラブが存続の危機に陥りました。それから10年ほどは、ずっと綱渡りのような苦しい時期が続きました。
それでも、特に会長や社長といった会社のトップはとてもオープンマインドで、切羽詰まった状況のはずなのに不思議と明るかったんです。メディア関係者に取材に来ていただいても「ベルマーレの雰囲気は明るいよね」と言われていました。何でもオープンに話して隠しごとをしない。その姿勢がベルマーレらしい明るい雰囲気を生んだんだと思います。
その結果、苦しい時期の記事であっても「光が見える」「未来は明るい」といったポジティブな書かれ方のものが多く、悪く書かれることはほとんどなかったように思います。そして苦しい時期が10年ずっと続いて、2010年にようやくJ1昇格が適いました。スポーツライターの戸塚啓さんがこの苦しい時期のことをずっと取材してくれて、『低予算でもなぜ強い?~湘南ベルマーレと日本サッカーの現在地~』という書籍を執筆してくださいました。10年の苦労についても書かれていて、とてもうれしかったです。苦しい10年でしたが、そんなときでもオープンに対応してきたことが報われたと思いました。
15年間、広報として活躍された後、スポンサー営業を担当し、2019年から再び広報に復帰したと伺いました。今後の抱負などを伺えないでしょうか。
営業の仕事を経験したことで、今まで知らなかったことが分かりました。例えば、世の中やサッカークラブにかかわるお金の流れのことをある程度は理解できるようになりました。スポンサーからお金をいただくことがどれだけ難しく、どれだけありがたいか、身をもって知りました。
協賛してくださるスポンサーの皆さんの気持ちは、広報時代から分かっていたつもりでしたが、直に触れ合ったことでより分かるようになりました。ただ、広報の仕事も営業の仕事も、「クラブのことを知ってもらいたい。好きになってもらいたい」という想いが根底にあることは変わりありません。クラブを好きになってもらって記事にしていただくか、協賛していただくかが違うだけです。営業の経験は広報にも役立てられる素晴らしい経験でした。
本当に、「こんなに面白い仕事はない」と、サッカークラブで働くこと、広報として働くことに毎日感動しています。毎週、試合の結果次第で大きく心を揺さぶられ、試合会場で知り合ったばかりのベルマーレファンとハイタッチしたり、抱き合ったりするような世界で働けているのは、私にとってとても幸せなことです。
私はもともと、“押し掛け入社”のような形でベルマーレに入りました。まだ恩返しの途中です。これからもパワーアップして、クラブの役に立たなければと思っています。