PR TIMESのカルチャー
CULTURE 71
DATA:2025.10.22
迷わず突き進んでいるように見える人ほど、周囲からは見えない葛藤と戦い、一歩一歩前進しています。『#PR TIMESなひとたち』は、「PR TIMESらしさってなんだろう?」について、社員の挑戦や努力の裏側、周囲からは見えづらい地道な一面に迫り、わたしたちの日常をお届けしていくコーナーです。
今回は「2024年度通期社員総会」で、半期の重要な行動指針たるスローガンを体現し、象徴する行動と成果で貢献した個人を讃えるBe the Slogan賞を受賞したTayori事業部の吉田優さんにインタビュー。
入社前から「誰かを応援するのが好き」で、PR業界を選んだ吉田さん。1年目には当時最年少で通期新人賞を受賞しました。しかし、新卒2年目でマネージャーとなってから、苦難の時が続きます。苦しみから抜け出し、気持ちを新たにしたタイミングでやってきたTayori事業部への異動打診。今回はそんな異動1年目というタイミングでの受賞となりました。吉田さんの変化のきっかけと、24年度下期スローガン「励ます」への想いについて伺いました。
吉田 優
Tayori事業部 第二営業チーム マネージャー
2020年新卒でPR TIMESに入社。プレスリリース配信プラットフォーム「PR TIMES」の営業・カスタマーサポート/サクセスとして、広報・マーケ担当者の成功支援に4年半従事してきました。2024年秋よりTayori事業部に異動。自身のカスタマーサポート経験も踏まえ、新規のお客様へカスタマーサポートツール「Tayori」の利用・業務改善提案を推進しています。野球・アイドル・城・マンホール・それらを堪能する旅が好きです。
Be the Slogan賞の受賞、おめでとうございます!まずは、受賞が決まったときの想いについてお聞かせください。
「今年は獲ります!」と上長の竹内さんに宣言していたので、受賞の知らせを受けて安心したというのが率直な感想でした。特にLead the Self/People賞かBe the Slogan賞のどちらかで受賞したいと思っていたんです。毎回「次は獲りたい!」と言ってはいるんですが、Tayori事業部に異動したばかりのタイミングだったこともあって、今回はその想いが特に強かったと思います。
ここ数年、賞と縁遠かったこともあって。自分を変えるためにも獲りたいと思っていました。特に、個人賞は入社1年目でいただいた通期新人賞以来獲れておらず、自分をアップデートできていない感覚があったんです。受賞が最初に告知される時期にはそわそわしていたので…、受賞が決まり本当に安堵しました。
吉田さんがBe the Slogan賞で体現された24年下期のスローガンは「励ます」でした。前回の総会でこのスローガンが発表されたときの印象はいかがでしたか?
「すごい変化球なスローガンがきたな」と思いましたね。うちのスローガンって、熱い感じというか、タフな印象の言葉が多いんですよ。そんななか、優しいピンク色をベースにしたスライドに書かれた「励ます」がパッと表示されたので、「おお」と思ったというか。それから、「これなら私にも体現できる」とも感じました。
私は大学時代から「誰かを応援すること」がすごく好きなんですが、今の自分に必要なことは「励ます」なのかもなと、原点回帰したような気持ちも抱きました。
「獲るぞ!」という強い気持ちがあった一方で、受賞スピーチでは「いつも目標が達成できなくて、自分に期待できないとか、達成しようとかできるってそもそも思えていなくて、ずっとくよくよしていた」という本音も語られていましたね。
はい。私は入社2年目から3年半ほどマネージャーをやっていたんですが、その間、個人目標を達成できたことがあるかないかわからないくらいでした。PR TIMESは抜擢も交代もあると明言している会社なので、「成果を出せていないのに交代させられないのはなぜなんだろう…。」と思うこともありました。マネージャー職という立場にいるのに結果を出せていない自分に対してずっと自責の気持ちがありました。
未達成が続くと、どんどん弱気になっていってしまうんですよね。事業で成果を出すには高い目標を達成することが必要ですし、立場的にも常に高い目標を設定していました。ただ、設定したその瞬間は「いけるかも」と思っても、どこかで「でも、またダメだろうな」と思ってしまう自分もいて。半期がスタートして、2カ月くらいで心が折れ始めるんですよ。「あと4カ月で巻き返せる気がしない…」と。このループを繰り返していたなと思います。
自分に期待できないことは良くないという想いはあったんです。でも、「提案の電話をしても、どうせ聞いてくれないだろうな」とか「イベントを開催しても、人が集まってくれる気がしない」とか、どうしても自信が持てなかった頃でした。ただ、たぶん周りの人からは自信がない人だとは思われていなかったと思います。
スピーチでも「すごい人だと思われているかもしれませんが」というお話がありましたね。実際、すごいと思われてきた方だと思います。
今振り返ると、マネージャーとなった2年目以降は、立場的に自信があるような振る舞いをしなければならないと思っていた節はあったんだと思います。あとは見栄を張っていたところもあったんだろうなと。
そこから、どのようなきっかけで変化があり、今回の受賞へとつながっていったのでしょうか。
いろいろなタイミングが重なっていったところがあります。大きな転機となったのは、当時上長をしてくださっていた小暮さんとの1on1でした。評価面談の場で、「高い目標であることが言い訳になっていて、達成に向けた意思を強く持てていない」と指摘されたんです。立場に関わらず、つらいことや苦しいことはみんな絶対にある。「そうした苦しさを解消させてくれるものは、結局目標達成なんですよ。そう思うと、つらさも必要なものだと思いますよね」と言われ、ハッとさせられました。
それまで、私はつらさや苦しさが目標達成と紐づいている意識が全然なかったんです。働き始めてからずっと、基本的な思想として「仕事はつらいもの」だと思っていたんですよ。やりがいはあるんですが、それは楽しいとは違っていて、成果を出すためにはある程度しんどいことをしなければならないと。逆に言うと、楽しいと感じられている状態では成果が出ないと思っていたんですよね。
体育会系のマインドですね。
そうなんです。誤解のないように言うと、仕事をしていておもしろいこともあるし、やりがいもあるし、自分のやりたいこととマッチしてはいるので、転職しようと思ったことは全然ないんです。PR TIMESの仕事が云々ではなく、「仕事=苦しいもの」という認識だった感じですね。
そんな私に、小暮さんは「何のために働きたいですか?」と問いかけました。下期の目標について話していたときだったと思います。そこであらためて考えてみて、やっぱり自分を信じられないことは良くないと思ったんですよね。そこから、自分のことにベクトルが向いていると良くないんじゃないかと思い至り、「苦しい」「つらい」と感じずに今できていることは何なのかを考えました。
そこで行き着いたのが「誰かのやりがいをつくること」なんじゃないかなという想いでした。
誰かを応援するのが元から好きというお話でしたね。
そうなんです。PR TIMESでは「Will」という言葉をよく使い、未来をどうしていきたいかを考える社風があるんですが、私は誰かの働きがいをつくること、やりがいをつくることが好きだなとあらためて思いました。
また、「過去最高」も社内でよく使われる言葉なので、自分にとって何ができたら過去最高なのかも考えました。そこで、自然と「目標を達成すること」だと思えたんです。目標の数値ぴったりでもいいから、とにかく達成すること。ずっとうじうじ言っていましたが、結局のところ目標達成することなんだと気付きました。
そこに加えて、個人での受賞ですね。最初にもお話したように、1年目から個人での受賞がなかったので、「自分は活躍できている人に入れているんだろうか」という想いがあって。目標を達成し、加えて賞を獲れたら自信を持てるんじゃないかと思っていました。
吉田さんは広報PRに強い想いを持ち入社されたそうですね。「来期こそは」と心を新たにしたタイミングでTayori事業部への異動の打診がきて、異動先で念願の受賞となったわけですが、そもそも異動の打診についてはどんな想いを抱かれましたか?
異動の打診が来たのは、「目標を達成して、その結果、受賞につながったらいいな」と決意した翌週でした。24年下期に立てていた目標は、私が長く持ち続けているプロジェクトを達成して次の方に渡すことで、「あと半年しかないからやらなければ」と、今までとは違うやる気をみなぎらせていたんです。そのタイミングできた、異動の打診。正直、迷いましたね。
というのも、私は今まで、自分から何かを途中でやめると決めたことがなかったんです。学生時代のアルバイトも卒業という節目で終えていて、途中でやめたことがなかったんですよね。ただ社会人の場合は、会社がなくならない限り、卒業のような節目は訪れません。まだ目標を達成するという節目を迎えていない半端な状態で異動することは、果たして逃げにならないのか。自分の後悔にならないのか。これらが迷った理由でした。
それでも、結果として異動を決意されたんですね。その理由は何だったのでしょうか。
他者から差し出される「こういう理由で、これをしてみたらどうですか?」という道を選ぶことが、自分には見えていない可能性をつかめるいい機会になるのではないかという想いがあったからです。
それまでの私は基本的に自分のことは自分で決めてきたのですが、時には例外もあって。たとえば高校時代に部長を務めていたのは、本当はやりたくなかったのに「こういう理由で、部長をやってみたらいいと思う」という他者の意見に同意したからなんですよね。やってみた結果、みんなが目標に向かってがんばれるようモチベーションを引き上げる、部長という役割から得たものがありました。
異動も同じで、自分のためになるものがきっとあると思いました。ただ、もしTayori事業部が広報PRと違う想いの元で進められている事業だったら、異動をのまなかったでしょう。PR TIMESのいいところは、あらゆる事業やプロジェクトの根底にパブリックリレーションズ思考があることだと思っています。すべてがミッション、バリューに紐づいているのが素晴らしいなと思いますし、そうでなければ異動を決意できなかっただろうなと。
4年半、広報PRの仕事に携わってきて「良い情報が広がっていくためには、広報担当者だけが頑張るだけでは難しい」という課題意識を持つようになっていったのも、異動を決められた理由のひとつです。お客様の会社には、それぞれ本当に素敵な取り組みがあるのですが、それらすべてを広報担当者が見つけてくるのには限界があります。広報担当者が見つけられていない場合、その取り組みに関わっている方が「これを伝えたい」と思わなければ、外に発信されることはないんですよね。だからこそ、広報PRが広報担当者だけのものになっているのならば良くない。そうした想いがあったため、一度広報とは違う事業部の社員となることで、また別の想いを感じられるんじゃないか、それがまたいつか広報PRの仕事に戻ってくることがあったときに活かせるんじゃないかと思い、異動を決めました。
異動を機に、マネージャー職から降りたのはなぜですか?
一旦、肩の荷を下ろしてみようと思い、人事と相談のうえ「外してください」とお願いしました。ただ、異動先で再度マネージャーに戻ることが求められていることも分かっていたため、「半年で戻ります」とも伝えました。
Tayori事業部は当時、営業社員の退職予定があったり、新卒配属のメンバーがあまりいなかったりして、新卒社員である私が異動することで、Tayori事業部にPR TIMESのミッション、バリューを伝えてほしい意図もあったのではないかと思っています。
マネージャーという肩書きが外れたことで、営業時代にあまりできていなかった「当たり前」のことをちゃんとしようと決めました。いいリセットの機会になるなと。
具体的には、どのようなことでしょうか。
PR TIMESでは、商談後、3週間が経つと「再度お客様に連絡しましょう」と教えてくれるアラートが来るのですが、そのアラートにちゃんと従って連絡を取ろうと決めました。当たり前のことではあるんですが、どうしても忙しさから溜めてしまいがちなんですよ。そうした言い訳をせず、「地道にちゃんとやろう」と決め、守りました。
工夫したのは、「アラートから2日以内にやればOK」としたことですね。猶予を自分に与えたことで、「夜にメールだけ作っておこう」「だったら今日もうやってしまおう」といった具合に、取り組みやすくなりました。
シンプルに、ただ地道にやることが大事だとあらためて思えたのは、PR TIMES事業時代、私のトレーニーだった桑原さんの存在が大きかったです。桑原さんは本当に地道にやれる方なので、その姿を見ていると「結局これが大事なんだな」と思えるんですよ。
桑原さんは前回の社員総会で受賞されているんですが、この受賞も私にとって大きな出来事でした。彼女のトレーナーを半年間務めたのですが、発言がみるみる変わっていく様子を見られたんです。自分の経験談も伝えながら、「こう話したらいけるんじゃないかと思います」「次はこうしてみましょうか」と一緒に作戦会議を練り、具体的にお客様に何をすればいいのか考えていったのですが、積み重ねていくうちに本当に強く変わっていかれたんですよね。彼女の受賞が決まったときの総会で発表されたスローガンが「励ます」で、今まで自分がしてきたことが、まさに「励ます」だったんだと思いましたし、「これなら自分にもできる!」とテンションが上がったのを覚えています。
スローガン発表前に、すでに「励ます」を体現されていたんですね。他にも「励ます」エピソードはありますか?
異動前の2カ月、私と同じ時に受賞した営業部の金子さんのトレーナーを務めたのですが、金子さんも2カ月間でガラリと発言が変わり、「人ってこんなに変われるんだな」と励まされました。こう振り返ると、メンバーの変化に立ち会えることが多かったんだなと思いますね。
お客様との関わりの中でいうと、PR TIMESでは企業様向けのユーザー会というイベントがあって、PR TIMESを活用してくださっている企業の広報担当の方にゲスト講師としてご登壇いただいているのですが、登壇経験はないものの、リリースが本当に素敵だった方にあえて登壇依頼をしていました。話を聞いていて「すごいな」と思ったら、「すごいですね」と本心を伝えて依頼するようにしてきました。
登壇後、講師の方に「登壇したことであらためて整理できました」「自分たちのやっていることに意味があるとわかりました」「機会をいただけて自信になりました」というお声をいただいたことも多いんですよ。新しい機会をつくったり、「当たり前」に価値を感じてもらえる瞬間に立ち会えたり、関わる人たちに変化が起きたり。これらを総称すると「誰かのやりがいを作ること」になるのかなと思っています。
異動後、何かご自身に変化はありますか?
これまではマネージャーとしての役割にどこか捉われすぎてしまい、自分ひとりで強くならなきゃと思っていたなと気付けたので、異動後は「みんなで強くなろう」と意識するようになりました。今、Tayori事業部の営業チームは経験半年のメンバー2人を含む5人で、伸びしろだらけなんです。4人揃って強いチームにしていきたいなと思いますね。
あらためて、PR TIMESという環境だからこそ得られた成長、学びについて、吉田さんがどう感じられているのかお聞きしたいです。
根底にミッション、バリューがあるからこそ、どの事業部でも通ずるところがあります。入社前にはSaaSをやろうだなんて1mmも思っていませんでしたし、何なら営業もやろうだなんて思っていなかったです。新規営業なんかは本当にやりたくないと思っていたのに、今どこか楽しみながら向き合えている自分がいます。どの仕事も、PR TIMESじゃなかったら選ばなかっただろうと思うと、社会人としての幅を広げてもらえたなと思いますね。
今、私は新卒採用に関わる機会が多いのですが、学生の方に伝えているのは、「PR TIMESは一人ひとりをちゃんと見てくれている会社です」ということですね。PR TIMESの新卒社員にはキャリアプランの制限がなく、ジョブローテーションのようにすでに決まっている道がありません。あらかじめ決められていることは安心感につながりますが、実際のところその時々で自分のキャリアに必要なものが何かはわかりません。
今回、「今の吉田さんにはTayori事業部への異動がいいタイミングになるのではないか」と考えて打診をいただいたことも含め、過去3回の異動はすべて意味があるものでした。良い意味でかなり変な異動をしている新卒メンバーが多く、十人十色すぎるキャリアになっているんですが、私はいいことだなと思っています。
あとは、入社時と比べると前向きになったなと思いますね。やったことがないことがたくさんあるので、未知なものに挑むときのひるむレベルが、以前より格段に減ったんじゃないかなと思います。
ありがとうございます。最後に、今後のご自身の展望についてお聞かせください。
コーポレートサイトを見てくれている就活生さんが多いのですが、私のことを調べると1年目に受賞した新人賞の記事がヒットしてしまうので、過去の栄光を見ていただいている状態になっていて心苦しいところがあったんです。今回、アップデートできて良かったなと思いますし、自分の呪縛が解かれたなと思っています。
Tayoriは可能性があるサービスなのですが、まだまだ商品を売ることしかできていないので、今後ますます「使うことでどうお客様の業務を変えられるのか」というソリューション営業に力を入れていきたいです。また、ツールを導入したものの使えなかったという経験が1度でもあると、次のツールを入れるハードルが上がってしまってもったいないので、課題ごとや困りごとの解決に貢献できる営業であり続けたいですね。PR TIMESの営業本部にいた経験から還元できるものは還元して、Tayori流にしていきたいと思っています。営業もですが、カスタマーサクセスも含め、できることをやっていけるチームとして成長していきたいです。
半年を経て、異動時に宣言した通りマネージャーの立場に戻りました。結局のところ、みんながやりがいを持っていたら仕事は前に進むものなんだと思っています。お客様のことを考えるのは当然大切なのですが、その「当たり前」ができるメンタルに持っていく、そういう社内の雰囲気をつくるのがマネジメントの仕事だと思っています。結局、「誰かのやりがいをつくる」に集約されていくんですよね。24年下期が終わっても「励ます」は終わりではなく、これからも続けていきたい姿勢だなと思っています。
執筆=卯岡若菜、構成=今本康太、編集=名越里美、撮影=高橋覚