PR TIMESのカルチャー
CULTURE 85
DATA:2026.03.31
皆さん、こんにちは。PR TIMES事業ユニット 第二開発部の宮崎雄也です。
私は2022年に新卒で入社し、エンジニアとしてPR TIMESのプロダクト開発に携わっています。現在はEM代行として自らも開発に携わりながら、チームや組織がより良く機能するための活動に取り組んでいます。
かつては「タスク消化」で精一杯だった私が、なぜ自らの境界線を越えて責任の範囲を広げようと思えたのか、その過程をつづりたいと思います。
だれブロ ーまだ、話していないことー
私が「だれか」お伝えします。働く誰か、働こうとしている誰かに役立ってほしい。
そんな想いでPR TIMESのメンバーが紡ぐブログです。
PR TIMESで働く「私」の仕事とそのほかいろいろ。
うれしいとか、やる気がでるとか、やめようかなぁとか。
だれかの、働く今日の気持ちにつながりますように。

宮崎 雄也
PR TIMES事業ユニット 第二開発部 EM代行
東京理科大学卒業後、2022年4月に新卒入社。バックエンドエンジニアとして経験を積み、現在は開発リーダーとしてチームの能力最大化に注力。2025年6月からはEM代行に就任。チームのリードと組織マネジメントに取り組んでいます。
入社してからの約2年間、私の働き方は徹底して「タスク中心」でした。
エンジニアにとって、依頼された機能を開発し、期日通りにリリースし、システムを安定させることは何よりも重要です。
私はその役割を完璧にこなすことがプロとしての責任だと思っていましたし、自分なりに改善活動にも取り組み、周囲ともうまくやれている自負がありました。
しかし、2024年度の通期評価で受け取ったフィードバックは、そんな私の「満足感」に冷や水を浴びせるようなものでした。
「開発部内での関係性は良いが、そこだけで閉じている。もっと他部署や全社的な視点を持ってほしい」
正直なところ、当時の私は「開発の仕事はちゃんとやっているのに、なぜ他部署との関わりまで求められるんだろう?」と、どこか冷めた捉え方をしていました。
「エンジニアの領域」という殻の中に閉じこもっていた方が、専門性も発揮できるし、何より安全で心地いい。そんな私の傲慢さと、無意識に引いていた「境界線」を根底から覆す決定的な出来事が起こります。

ある日の移動中、銀座線の出口を出たところでスマホに届いたのは、インシデントを知らせる1件のアラートでした。
一瞬胸がざわつきましたが、当時の私は「誰かが対応してくれるだろう」「自分のタスクではない」と都合よく解釈し、スマホをポケットにしまい込みました。自分に割り振られた「今日のタスク」以外には目を向けようとしなかったのです。
結局、そのアラートは自分がすぐに対応をしなかったことで深刻化し、お客様、社内のメンバーに多大な負担をかける結果となってしまいました。
もしあの時、私が声を上げていれば。エンジニアとして、あるいは一社員として「自分ごと」として動いていれば、防げた未来があったはずです。
「自分じゃなくてもいい」「自分の担当領域ではない」
そんな無意識の逃げが、本来あるべきプロフェッショナルとしての姿から自分を遠ざけていた。
この不甲斐なさは、単に技術的なミスをしたからではありません。「自分の仕事の先にいる人たち」への想像力が、圧倒的に欠けていたことに気づいたからです。
PR TIMESの向こう側には、大切な情報を届けようとしているお客様がいます。そして、インシデントが起きれば最前線でお客様と向き合い、誠心誠意の対応にあたる仲間がいます。
目の前のタスクをこなすだけで満足していた自分は、プロダクト全体に対する責任を自分事として捉えられていなかったのだと、痛いほど思い知らされました。
そんな中、全社プロジェクトである「プレスリリースアワード」の運営に参加する機会を得ました。
プレスリリースアワードは、日頃の皆さまの広報・PR活動に光を当て、発信文化を広げようと、2021年にスタートした年に一度の大きなイベントです。開発職の私にとって、それはコードを書くこととは全く無縁の、未知の領域でした。
当時の私はまだ、インシデントでの気づきを実際の行動にまで落とし込めていませんでした。このプロジェクトへの参加も、心のどこかで「開発業務の合間にデータ抽出や事務作業を少し手伝う程度のサポート業務」だと、楽観的に捉えていたのです。
しかし、参加したものの、当初の私はどこか「うまく貢献できている」という実感を持てずにいました。自分なりに依頼されたデータ抽出や事務作業をこなし、タスクは着実に消化している。それなのに、プロジェクトの成功という「目標」が、どこか自分とは無関係な場所にあるような感覚。そんな停滞感の中にありました。
プロジェクト責任者の中井さんとの何気ない会話の中で、今でも忘れられない瞬間があります。
「プロジェクトと言っても普段の業務の延長線ですよね?」
中井さんからは、そう問いかけられたとき、私は間髪入れずに「いつもの業務とは、180度違います」と答えました。当時の私にとって、このプロジェクトで直面していた慣れないタスクは、エンジニアとしての普段の「タスク」とは全く別物に見えていました。
その後の対話を通じて、私は自分の大きな勘違いに気づかされました。
中井さんが言っていた「延長線上」とは、作業内容のことではなく、「目標に向かって取り組む」という仕事との向き合い方なのかもしれないと感じるようになり、行動が変わってきました。

これまでの自分は、依頼されたタスクを「完了」にすることばかりを考えていました。しかし、このプロジェクトで求められていたのは、そんな「自分を守るための仕事」ではありませんでした。
「エントリーを通じ、一年間の広報活動を見つめなおし、発信に至るまでのすべての奮闘を讃える」その大きな目標に向けて動く。その熱量の中で、私はようやく「当事者」として取り組めるようになりました。
そこから私はエンジニアという肩書きを一度脇に置きました。お問い合わせ対応、一通一通の心のこもったメール、そしてお客様へのリマインドメッセージ作成……。正直、地道で泥臭い取り組みの連続でした。
しかし、その一見単純に見える作業の一つひとつが、実は目標達成に繋がっているのだと感じていました。
「このメール一通の文面次第で、お客様の心が動くかもしれない」
「この複雑なデータの整理が、チームの次の一歩を確実なものにするかもしれない」
それは誰かに管理された「タスク」ではなく、自らの意志で目標を成し遂げようとする「責任」そのものでした。私はプロジェクトリーダーの中井さんと毎日必死にコミュニケーションを取り、彼がお客様の何を見て、何を大切にしているのか、その視座の高さと熱量を一滴も漏らさず吸収しようともがきました。
一通のメールが、一つのデータ整理が、目標達成に直結している。そう確信しながら手を動かす日々は、決められた範囲のタスクをこなすだけでは決して味わえない、本当の意味での「仕事」の手応えに満ちていました。

プレスリリースアワードは結果として、過去最多となる4,573件のエントリーをいただくことができました。多くの方にエントリーをいただいたと同時に、「目標を自分ごととして背負えた」という、これまでにない納得感を得ることができました。
ここまでの道のりを振り返ると、自分の中で明確な変化がありました。まずは「タスクの完了」が目的だった状態から、その先にある「目標の達成」へと視点が変わったこと。そして、インシデントで感じた「責任から逃げてしまった後悔」を二度と味わいたくないという思いがありました。
今の私は、以前よりも少しだけ広い景色の中にいます。もちろん、今でも自分の境界線に迷うことはあります。しかし、技術も、マネジメントも、すべては目標を達成するための「地続きの手段」であると知ったことが、今の私の強みになりました。
特別な何かがなくても、目の前の違和感から目を逸らさず、一歩だけ踏み出してみる。その小さな積み重ねの先に、タスクをこなすだけでは見えなかった、手応えのある「仕事」が待っているはずです。私もこれからも、自分なりのペースでその境界線を越え続け、プロダクトと組織の成長に責任を持てるエンジニアであり続けたいと思います。