CROSS TALK 01

恐怖を煽らずに「津波被害」を可視化する。国際PR賞を受賞した防災啓発とは

  • 田中美咲(一般社団法人防災ガール 代表理事)
  • 千田英史(株式会社PR TIMES エクスペリエンスデザイングループ / ディレクター)

DATA:2018.11.21

「防災があたりまえの世の中に」を掲げ、前時代的な防災のイメージを変えるべく活動を続ける、一般社団法人「防災ガール」。企業や行政と連携して防災の普及啓発活動を積極的に行うソーシャルスタートアップ団体として、国内外から高い評価を得ている。

そんな防災ガールのPR活動に転機をもたらしたのが、PR TIMESの千田英史(ちだ ひでふみ)だ。2016年の6月から12月までの半年間、組織の枠を超えた人材育成の機会を提供する「企業間レンタル移籍」のプラットフォームを活用し、防災ガールの津波防災普及プロジェクト「#beORANGE(ハッシュビーオレンジ)」の広報・PRリーダーを務めた。同プロジェクトは、世界の優れたPR活動を表彰するアワードを受賞している。

今回は「防災ガール」の発起人であり、代表理事の田中美咲(たなか みさき)さんをゲストに迎え、プロジェクトの裏側を千田とともに振り返る。

田中美咲

田中美咲

一般社団法人防災ガール 代表理事

1988年、奈良県生まれ。立命館大学卒業後、サイバーエージェントに入社。対話を通して少しでも幸せな人を増やしたいと思い「神経言語プログラミング・プロファイリング」を学びマスターを取得。その後、防災業界の課題を目の当たりにし、一般社団法人防災ガールを設立、全国の官庁・自治体・企業と連携し、前時代的な防災のイメージを変える企画を連続開発・実施している。2018年、社会課題解決に特化したPRコンサルティングなどを行うmorningafter cutting my hair. incを設立。

千田英史

千田英史

株式会社PR TIMES エクスペリエンスデザイングループ / ディレクター

青山学院大学卒業後、不動産会社を経て2011年、PR TIMESに入社。営業職を経て、消費財メーカー、NPO、コスメブランドを中心にコンテンツ企画、マーケティングに従事。2016年6月から一般社団法人 防災ガールにレンタル移籍し、「#beORANGE」の広報・PR担当者に就任。その功績が認められ、2017年7月には国際PR協会(IPRA)の「ゴールデン・ワールド・アワーズ・フォー・エクセレンス(GWA)」における「環境(エンバイロメンタル / エージェンシー)部門」で最優秀賞を、8月には国際的なPR業界メディア「The Holmes Report」主催の「In2 SABREアワード アジア・パシフィック」における「BRANDING AND IDENTITY部門」で最優秀賞をそれぞれ受賞。

根幹を共有しつつ、違う知識や発想を持つ。名コンビの出会いから始まったプロジェクト

千田さんは2016年に半年間、レンタル移籍を通じて「防災ガール」に参画されていたそうですね。

千田:はい。「防災ガール」が主導する津波防災プロジェクト「#beORANGE(ハッシュビーオレンジ)」にジョインさせてもらいました。万が一、大規模な津波が発生したときの避難場所となるビルに、視認性の高い「橙色の旗=オレンジフラッグ」を掲げる。その意義を啓蒙することがミッションでした。

「#beORANGE(ハッシュビーオレンジ)」ウェブサイト

田中:防災ガールにはそれまで、PR経験のあるスタッフがおらず、個人の経験や感覚で業務を回していました。ただ、このプロジェクトには助成金もおりていたので、津波防災の啓蒙というミッションに対して明確な成果が出せるか、不安な部分がありました。そんなときに偶然、企業間レンタル移籍プラットフォーム「LoanDEAL」を通じて、PR TIMESさんと連携の機会をいただいたんです。

千田:当時は、プランナーとして求められる一定の成果を出せるようになってきたと実感していた頃でした。良くも悪くも日々の業務に慣れていたときにお話をいただき、田中さんの描く構想に、これまで経験してきたこととの「差」を感じて、興味本位でエントリーしたんです。

田中:千田さんを含めた3人のPRプランナーの方と面談をさせていただきました。それぞれが全然違うタイプで、どの方にもしっかりと成果を出していただけるだろうと感じたのですが、なかでも千田さんは私と違う知識や発想をお持ちだったのが印象的でした。私たちが想像もしていなかったゴールに連れて行ってくれそうで、大きな可能性を感じたのを覚えています。

田中美咲(一般社団法人防災ガール 代表理事)

田中:その一方で、PRや広告に対する基本的な考え方、姿勢には似たものを感じました。予算をたくさん投下してマスメディアを利用すれば、受け手が求めていない情報でも強制的に伝えることができる。でも私は、そうした単なる出稿量競争のようなやり方には違和感がありました。千田さんも「本当に伝えるべきことだけを伝えたほうがいい」とおっしゃっていて、その感覚が一致したことを覚えています。

マーケティング発想のPRと、社会課題解決のためのPRは、必要な「伝え方」の根本が違うんですよね。防災ガールが対峙する全国の人たちをいかに魅了できるか、共感してもらえるか。そして、時には被災された方へのケアも含め、一緒に考えてくれるのが千田さんだと思いました。

「千田さん自身が答えを出すのではなく、一緒に考えようという姿勢を貫いてくれた」

「#beORANGE」プロジェクトについて、千田さんはまず何から始めたのでしょうか?

千田:移籍して最初に気づいたことは、主な予定以外、特に何も決まっていないことでした。まずはチームメンバー内外に向け、このプロジェクトが目指すものがなんなのか、核となる部分を言語化して提示することが必要だと思い、「タグライン」の策定を提案しました。

千田英史(株式会社PR TIMES エクスペリエンスデザイングループ)

田中:そうでしたね。そもそもPRの対象である「オレンジフラッグ」が何のためにあるものなのかもわかりにくいと指摘していただきました。

千田:当然、チームメンバーは「オレンジフラッグ」の意義を理解しているので「言わなくてもわかる」んです。しかしPRの役割は、一般のもっと多くの人々に、チームメンバーが共有している意義を「伝わる」ようにすること。そのためには、まずはっきりとこのプロジェクトのゴールを言語化し、それを共有することが必要でした。

田中:千田さんはさまざまな企業や団体などのタグラインの例を挙げながら、私たちが考えやすいようにサポートしてくれました。千田さん自身が明確な答えを出すのではなく、私たちと一緒に考えようという姿勢を、半年間ずっと貫いてくれました。

千田:ぼくが新鮮に感じたのは、タグラインにしろ何にしろ、田中さんがズバリと意思決定するのではなく、全国の防災ガールメンバーからアイデアを募って、合議制で決めていたことです。それもチャットなどを利用して、非対面でスピーディーに。

田中:そうですね。防災ガールは私を含めた2、3人が有給職員で、あとは全員ボランティア。お金が目的で参加しているわけではないので「関わってる感」がないとモチベーションが下がってしまいます。だから最終決定の責任は私が負いながらも、みんなで決めるスタイルを大事にしていました。

千田:レンタル移籍で参画している当時のぼくは、いわば「外来種」。タグラインについても合議の結果、ぼくが出した「波と生きる日本をつくる」は惨敗で(笑)、「オレンジは、津波防災の色」というストレートなメッセージがダントツに票を集めました。難しさを感じた反面、面白かったですね。

防災ガールがこれまでずっと大切にしてきたそうした習慣や文化はもちろん尊重していました。一方で「広報 / PRのプロフェッショナル」としてジョインしているぼくの役割としては、良い意味で組織に馴染みすぎず、迎合せずに俯瞰的な視点を保つことも重要だと考えていました。

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「#beORANGE」の活動が本格的にスタートしてからは、千田さんはどんな仕事を?

千田:企画制作、メディアやパートナーとの折衝、そのための体制づくりなど、広報 / PRの領域全般を推進していました。あらかじめ実施が決まっている企画をメンバーと進めるのと同時に、防災という扱いの難しいテーマに対してもっとできることはないかとずっと考えていましたね。

防災ガールの全員が「やるべきタスク」に向かうなか、一度立ち止まってでも、目の前の課題にちゃんと向き合う場をつくる必要があったし、それがぼくの役割だと思いました。

一番苦労したのはどんなことでしたか?

千田:田中さんが以前、「人々は、平穏な日常のなかでは防災に興味を抱かない」と仰っていて、まさにそれを痛感しました。防災の情報として身の回りに溢れているのは、「こんな被害に遭わないよう備えましょう」とか「何年以内に南海トラフ地震が起きる」とか、ほとんどが不安を煽るもの。

これらはもちろん正論で必要な情報なのですが、日常のなかではやはりどこか遠い出来事のように感じてしまう。大規模な地震が発生し、課題が顕在化してはじめて「オレンジフラッグ」の必要性が身にしみて感じられるんです。

#beORANGEのTwitterより

千田:そんなジレンマから脱するアプローチとして、2016年10月に高知県高知市の潮江地区で「未来号外」をつくり、配布しました。「2017年に潮江地区を大津波が襲ったが、オレンジフラッグのおかげで全員が避難できて助かった」という架空のニュースを、「潮江新聞」という名前を冠して打ち出したんです。

なかなか想像しにくい事象をローカライズし、人々にとって身近な「新聞報道」に仕立てることで可視化したかった。なぜなら、地方には依然として新しい情報を受け入れがたい姿勢や、シビックプライド(都市に対する誇りや愛着)があるため、地域外からの提案だと知ると、冷めてしまうと思ったんです。

だからこそ、潮江地区で暮らす方々と対等な立場になる必要がありました。オレンジフラッグの価値を「伝達」ではなく、新聞から「発見」してもらうことで、津波による被害が単なる環境問題ではなく、行動心理の問題であることを認識してもらいたかったんです。

「潮江新聞」

繊細なテーマを、地域にどう伝えるか。さまざまな苦難を乗り越えて得た成果

田中:千田さんからアイデアを聞いて、ぜひやりたいとすぐに思いました。「未来号外」を届けた高知県の潮江地区は、南海トラフ地震が発生したときに高い津波が来ると予測されていて、ご年配の方も多いエリア。新聞という形式をとったのは、そういった地域事情を鑑みてのことです。

千田:当初は、地元の新聞社さんの賛意を得て、一緒に話を進めていたのですが、実在する新聞社が架空の号外を出しては影響が大きいと直前で実現ならず、折衷案だった折り込みチラシでの配布も規定違反扱いに。結果的に民間団体のみなさんと、潮江地区での「オレンジフラッグ」掲出開始時期に合わせ、計1万部を自分たちの手で配布しました。

結果、住民のみなさまのリアクションはさまざまで、「初めて津波避難ビルという名称を知った」とか、「市のハザードマップをチェックした」とかポジティブな声もあれば、「本当に津波があった際、対峙しなければならない地元の気持ちを考えているのか」とお叱りをいただいたり。あとは、事実と混同した小学生がいたとのことで校長室に謝りに行ったりもしましたね。


田中:一方で、未来号外を皮切りに全国でオレンジフラッグの導入事例が増えたという点では、非常に意義がある取り組みだったと思っています。現在私たちが把握しているだけでも、導入いただいた自治体は70市町村。国際PR協会の最優秀賞や、インサイトとイノベーションに基づく優れた業績を評価する「In2 SABREアワード アジア・パシフィック」の受賞にもつながりました。

伝え方を変えれば、社会貢献事業の認知はもっと広がる。環境の変化で二人が得たもの

半年間のレンタル移籍を通じて、お互いに得たもの、学んだことはありましたか?

千田:地域やボランティアの人たちなど、関係者の参加を促すモチベーションづくりや、チームメンバーのマネジメントの仕方など「人を動かす / 巻き込む」方法について、とても多くのことを学びました。

あと、自分の「性質」みたいなものが、レンタル移籍でより色濃くなりました。それは、ベタなことを嫌い、先が読めない「実験」をして自分に勝ちたいという思いです。ぼくはもともと自分に「100点満点」をつけることがあまりないですし、自分の成果に対して周囲から承認を得たいわけでもないんです。自分が納得いくまで追求することが一番大事で、そのためにはひどい失敗をして怒られてもいい(笑)。

レンタル移籍の前後で受けた能力テストの結果でも、「現状打開力」「実験力」「創造への自信」といった項目が上がり、こうした指向性の強まりが目に見えて現れていたのが興味深かったですね。

田中:千田さんの実行力が、具体的なマニュアルのなかった防災ガールのPR活動に、確かな礎を築いてくださったと思っています。私は、2018年2月に社会課題解決に特化したPRコンサルティング会社「morning after cutting my hair.inc」を立ち上げたのですが、それは防災ガールのPR活動があったからこそ。

伝え方を少し変えるだけで、社会貢献事業はより多くの人に知っていただける。そしてその人の価値観さえ、変えてしまう可能性を秘めている。そのためには、もっと視野を広げて、外の情報や知見を導入しなければいけないとあらためて気づくことができたんです。


千田:世間的には、環境が変われば自分も変われると期待しがち。しかし「成長」とは、自らが理想とする自分の姿との差を埋めていく行為であって、そのためには、一度経験したことを応用や継続するだけでは不十分だと思います。自分自身の「変えたい」という意欲やエネルギーがないと、いつまでも「報酬のための仕事」から抜けられないと思うんです。

今回のレンタル移籍は、もともとは防災ガールさんからお話をいただいてスタートした仕事でしたが、まったく新しい分野に挑戦させていただいたことで、自分のなかのそうしたエネルギーにあらためて火がついた感覚がありました。有意義でしたし、何より面白い経験でした。

田中:私も同じ気持ちです。

取材・文:阿部美香 撮影:高木亜麗